一歩、また一歩

気まぐれ大学生の徒然なる自由帳

理想と現実のギャップ、と老子

どうもマルちゃんです。
ブログを更新しようしようと思っているうちに半年ぶりとなりましたが、
ひょんなことから第二回目のブログです。

なぜ、いきなりブログを書こうと思ったかというと、
実は最近

理想現実のギャップ

に打ちのめされることがありました。

どういうことかというと、
最近、アルバイトしているときにある女子生徒から、
「マルちゃんさんは黄色ってイメージがしますね」
と言われたこと。

普通に考えれば、
単なる私に対する批評ですが、
なぜか心にガーンと来てしまった…

黄色と言えば、
戦隊ものでいうところの、

お調子者、道化、見ている分には面白い人

であり、
クール
知的青色や、
情熱的がっつあふれるみんなのリーダーな赤色に、
魅力を感じる自分としては心がしょぼーん

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としてしまう。
結局、その日は、心にしこりを残しながらバイトをして帰りの電車へ乗る。

その電車で手に取ったのが「老子

タオ―老子 (ちくま文庫)

タオ―老子 (ちくま文庫)

 

 普段は、読んでいても、

「ふわふわしすぎてようわからん」

としか思わない。

でも今日みたいに落ち込んでいるときだと、
頭の中で支配的になっている思考からいっこくも早く抜け出そう、
と思い、

「毒には毒を持って制す」
(ちょっと違うかw)

じゃあないが、
とにかく別の思考パターンを流し込みたいと思って読んでみた。

読んでみると、
書いてある内容は、

自己の持つ理想的イメージと他者からの自己のイメージのギャップに悩む自分

とは真反対のことが書いてあった。

曰く、

 タオの人は、自分のいる所を、いつも
善いところと思っている。
心は、深い淵のように静かだ。

 とか、

人は誰だって
未亡人や孤児や貧乏人になりたくない。
もしも地位の高い人や富んだ者が
自分を貧しい人とか孤児と見なして
つねにへり下った気持ちでいれば、
そこに一つのバランスが生まれるわけ 

このように物や生き方を控え目に抑えた時に
かえって得をする。

 だそうだ。

まったくもって真逆である。
だが、老子の中の、

ものが「在る」のも、
「無い」があるからこそ在るといえるんですね。
お互いに
片一方だけじゃあ、けっして存在しえないんだ。 

 ではないが、
真逆の状態だからこそ、
その「老子」で言わんとすることもわかるような気がする…

あんまりにも自分は、
自己の理想のイメージにとらわれ過ぎらのかもしれない。

かつて、サークルの先輩に

お前はコミュニケーションが正直下手だ。
コミュ力に見切りをつけて、
自分の強みを磨くのも一つの道だが、
「できない」ことを「できる」ようにするのが、
本当のクリエイティブではないか?
どうだ?目指してみないか?

と言われた。
その先輩は「」がとてもとても熱い人、
自然と人が集まってくるような素晴らしい人である。
戦隊ものでいうところの赤色である。
属人主義より属事主義を標榜する自分も、
その先輩の言葉に従って自分なりに努力した。

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だが、
うまくいかなく、

技術や知識で生きていこうと思った

青色である。
しかし、
それも所詮は反動である。
理想がうまくいかないことへの反動。
根柢にそういうところがあった。
ある意味、自己否定の延長線上である。

だからこそ、
老子の教えが腑に落ちた。

中西輝政さんという人が

(文庫)本質を見抜く考え方 (サンマーク文庫)

(文庫)本質を見抜く考え方 (サンマーク文庫)

 

 という本で、

私のように西洋の勉強をずっとしてきた人間からすると、老荘などの中華思想ギリシャ哲学も、みな同じことが書かれていることに気づきます。

~(中略)~

結局、どれも同じテーマについて論じられているのでs。それは、「人間は世の中とどう折り合っていくか」ということです。

 と語っているが、
案外、老子の作者もそうなのかもしれない。

何もない虚のスペースこそ、
本当に役に立っているのだ。

という風に、
自分を「虚」と考え、流れに逆らわず、余計なものを持たない、
という、
一見見れば自己を否定しているように見えることこそ、
究極の自己肯定なのかもしれない。

それを考えると現在自分が読んでいる小説「花神

 

花神〈上〉 (新潮文庫)

花神〈上〉 (新潮文庫)

 

 の主人公はある意味、老子の教えに通ずるのかもしれない。
彼は自分を一個の機械とみなし、
世間の需要を淡々と満たしていく男。

気が向いたらこの「花神」も紹介したいなと思う。

それではまた。