一歩、また一歩

気まぐれ大学生の徒然なる自由帳

肯定系と否定系ー論語学而第一十五

どうもマルちゃんです。
今日は、読書をしているときにふとおもったことについて書きたいと思います。

今回のお題は、
論語の中の「学而第一」という部分についての個人的な気づきをと思います。


そもそも論語とは?

 

論語 (岩波文庫 青202-1)

論語 (岩波文庫 青202-1)

 

 wikipedeia(論語 - Wikipedia)によれば、

四書のひとつである『孟子』はその言行の主の名が書名であるが、『論語』の書名が(たとえば「孔子」でなく)『論語』であるその由来は明らかでない。(『漢書』巻30芸文志[1]に「門人相與輯而論纂 故謂之 論語」と門人たちが書き付けていた孔子の言葉や問答を、孔子死後に取り集めて論纂し、そこで『論語』と題したとある。) 

自分自身、専門的に学んでいるわけではありませんが、
要するに論語とは、
孔丘(孔子でなくて本名はこれです、中国ではえらい人は「~子」と呼ぶそうです。だから有名な「孫子の兵法」なども作者の名前は「孫子」ではなく「孫武」だとか)
というえらい人の発言を集めていったもののようです。

で、今回のお題は

こちらの言葉

子貢曰、貧而無諂、富而無驕、何如、
子曰、可也、未若貧時楽道、富而好礼者也、
子貢曰、詩云、如切如磋、如琢如磨、其斯之謂与、
子曰、賜也、始可与言詩已矣、告諸往而知来者也

大意を言いますと、

子貢という孔子の高弟の一人が、

「貧乏であっても(他人に対して)へつらわず、(自分が)金持ちであっても(他人に対して)いばらないというのは(理想の人物「君子」の定義として)いかがでしょうか。」

と、師匠である孔子に問かけます。
すると、孔子は、

「それでもいいんだけど、「貧しいときでも道義を楽しみ、金持ちであっても礼儀を好む」という方がいいんじゃね?」

と返す。
子貢というのは頭の回転が早いため、
その言葉を聞いて、
詩経孔子が生きていた時代に謳われていた民謡などを、孔子自身が編纂したもの詩経 - Wikipedia)」という書物の内容を思い出し、

詩経にも「切るが如く、磋るが如く、琢つが如く、磨くが如く、」という内容がありましたが、ちょうどのこれのことですか?」

と質問する。
すると、孔子

「子貢よ、それでこそ一緒に詩の話ができるね、お前は前のことを聞かせたら、まだ後の話していないことまで分かるのだから。」

とどうやら感激したようです。

深読みすると…

まあ、正確に本を読むということも、もちろん大切なことだとは思いますが、
「その本に書いてあることからどんなことが思いつくか」を考えるのも一つの楽しみ方としてあっていいんじゃないかと思います。

この文章、
おそらく人により目の付け所は違ってくると思います。
「人としての矜持を持つことが大切だ」とか、
「生活が貧しくても満ちたりても切磋琢磨は大事だ」とか、
もしかしたら世渡り上手な人なんかは
「上司の以前の発言とか好きなものをしっかりおぼえておいて、いいタイミングでそれを出すと相手も「ちゃんと俺の話聞いているんだな」と思い好感度UP」だとかw

で自分が目を付けたところとしては、

孔子の発言子貢の発言の違いです。

まず、子貢はというと、

貧乏であってもへつらわず、金持ちであってもいばらない
という風に、「~してはいけません」という否定形として語っています。
つまり、ルールというか、規律というか、どことなく我慢している感じ

一方、孔子はというと、

貧しいときでも道義を楽しみ、金持ちであっても礼儀を好む

そう、子貢と比べると「」「」とかなんだか言っていることが明るい(笑)

子貢の言ってることはというと、
(世代の近い方ならわかるかもしれませんがw)クレヨンしんちゃんの「ダメダメの歌」のような世界観

ダメダメのうた

ダメダメのうた

 

「君子」という自分の理想に向かって自分を努力している感じ
ハングリー精神みなぎってはいますが、
なんか無理しっちゃてる感じ、大学受けるために受験勉強している感じですね(笑)

一方、孔子は「君子」へと至る道自体を楽しんでいる、
自発的にその道を進んでいる

ここまでいくと、論語を専門に研究している方から文句を言われかねませんが、
だからこそ、切磋琢磨ができるのではないかと思います。
切磋琢磨とは「切るが如く、磋るが如く、琢つが如く、磨くが如く、
つまりとても苦しいものです
そういう苦しい道だからこそ、
しまないと続かない。
自分というものを「肯定形」で語っている。


最後に

自分自身、「論語」に対するイメージはというと「説教くさいルールブック」ぐらいにしか思っていませんでしたが、
案外、ひもといていくと孔子の人柄が自分の予想と大きくちがっています。

この記事を読んでいる皆さん、もしお時間あれば読書はいかが?
それでは、またどこかで会いましょう。

理想と現実のギャップ、と老子

どうもマルちゃんです。
ブログを更新しようしようと思っているうちに半年ぶりとなりましたが、
ひょんなことから第二回目のブログです。

なぜ、いきなりブログを書こうと思ったかというと、
実は最近

理想現実のギャップ

に打ちのめされることがありました。

どういうことかというと、
最近、アルバイトしているときにある女子生徒から、
「マルちゃんさんは黄色ってイメージがしますね」
と言われたこと。

普通に考えれば、
単なる私に対する批評ですが、
なぜか心にガーンと来てしまった…

黄色と言えば、
戦隊ものでいうところの、

お調子者、道化、見ている分には面白い人

であり、
クール
知的青色や、
情熱的がっつあふれるみんなのリーダーな赤色に、
魅力を感じる自分としては心がしょぼーん

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としてしまう。
結局、その日は、心にしこりを残しながらバイトをして帰りの電車へ乗る。

その電車で手に取ったのが「老子

タオ―老子 (ちくま文庫)

タオ―老子 (ちくま文庫)

 

 普段は、読んでいても、

「ふわふわしすぎてようわからん」

としか思わない。

でも今日みたいに落ち込んでいるときだと、
頭の中で支配的になっている思考からいっこくも早く抜け出そう、
と思い、

「毒には毒を持って制す」
(ちょっと違うかw)

じゃあないが、
とにかく別の思考パターンを流し込みたいと思って読んでみた。

読んでみると、
書いてある内容は、

自己の持つ理想的イメージと他者からの自己のイメージのギャップに悩む自分

とは真反対のことが書いてあった。

曰く、

 タオの人は、自分のいる所を、いつも
善いところと思っている。
心は、深い淵のように静かだ。

 とか、

人は誰だって
未亡人や孤児や貧乏人になりたくない。
もしも地位の高い人や富んだ者が
自分を貧しい人とか孤児と見なして
つねにへり下った気持ちでいれば、
そこに一つのバランスが生まれるわけ 

このように物や生き方を控え目に抑えた時に
かえって得をする。

 だそうだ。

まったくもって真逆である。
だが、老子の中の、

ものが「在る」のも、
「無い」があるからこそ在るといえるんですね。
お互いに
片一方だけじゃあ、けっして存在しえないんだ。 

 ではないが、
真逆の状態だからこそ、
その「老子」で言わんとすることもわかるような気がする…

あんまりにも自分は、
自己の理想のイメージにとらわれ過ぎらのかもしれない。

かつて、サークルの先輩に

お前はコミュニケーションが正直下手だ。
コミュ力に見切りをつけて、
自分の強みを磨くのも一つの道だが、
「できない」ことを「できる」ようにするのが、
本当のクリエイティブではないか?
どうだ?目指してみないか?

と言われた。
その先輩は「」がとてもとても熱い人、
自然と人が集まってくるような素晴らしい人である。
戦隊ものでいうところの赤色である。
属人主義より属事主義を標榜する自分も、
その先輩の言葉に従って自分なりに努力した。

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だが、
うまくいかなく、

技術や知識で生きていこうと思った

青色である。
しかし、
それも所詮は反動である。
理想がうまくいかないことへの反動。
根柢にそういうところがあった。
ある意味、自己否定の延長線上である。

だからこそ、
老子の教えが腑に落ちた。

中西輝政さんという人が

(文庫)本質を見抜く考え方 (サンマーク文庫)

(文庫)本質を見抜く考え方 (サンマーク文庫)

 

 という本で、

私のように西洋の勉強をずっとしてきた人間からすると、老荘などの中華思想ギリシャ哲学も、みな同じことが書かれていることに気づきます。

~(中略)~

結局、どれも同じテーマについて論じられているのでs。それは、「人間は世の中とどう折り合っていくか」ということです。

 と語っているが、
案外、老子の作者もそうなのかもしれない。

何もない虚のスペースこそ、
本当に役に立っているのだ。

という風に、
自分を「虚」と考え、流れに逆らわず、余計なものを持たない、
という、
一見見れば自己を否定しているように見えることこそ、
究極の自己肯定なのかもしれない。

それを考えると現在自分が読んでいる小説「花神

 

花神〈上〉 (新潮文庫)

花神〈上〉 (新潮文庫)

 

 の主人公はある意味、老子の教えに通ずるのかもしれない。
彼は自分を一個の機械とみなし、
世間の需要を淡々と満たしていく男。

気が向いたらこの「花神」も紹介したいなと思う。

それではまた。

孤独のチカラ

初めましてマルちゃんです。
今回は斎藤孝さんの「孤独のチカラ」について書きたいと思います。

 

孤独のチカラ (新潮文庫)

孤独のチカラ (新潮文庫)

 

 

内容としては、
世間、特に東北大震災以降は「絆」だとか「仲間」などという言葉で、
他人とワイワイしていることがいいことだという風潮がありますが、
そういう風潮にあえて反して、
「孤独」であることの価値を、斎藤さんの穏やかな語り口でとくとくと紹介していってくれるというものです。

 

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